そしてその質問の直後、タクシーはKちゃんのマンションの前に停車しました。
「嶽花さん、4分だけ待っててくださいね。すぐ戻ってくるから」
そう言ってKちゃんはそそくさとマンションへ入っていきました。この沈黙に耐え切れなくなったのか、俺はやたら饒舌でした。タクシーの運転手さんに対しては。
「運転手さん、やっぱこんな状況のお客さん、沢山乗せたんでしょ?」
「いやぁ、初めてですねぇ。私までドキドキしてきましたよ」
「いえね、僕、今日、会社をやめてきたんですよ。はっきり言って、妻の為に会社やめてきたようなもんなんですよ。でもね、妻の為に会社やめたその日に、会社の女の子とこんなことになっちゃって……もう、どうしていいやら」
「それはそれは。困りましたねえ」
「そうでしょ、困るでしょ? そりゃ、ヤりたいですよ下半身的には! あの子、はっきし言ってカワイイし、なんで僕なんかに?とか思うくらいだし!」
「ははは、羨ましいですなぁ。私も一回くらいこういう状況に陥ってみたいですよ」
ちょうどその時、電話がかかってきました。Kちゃんです。
「嶽花さん、ちゃんと待っててくれてます?」
「うん、タクシーに乗ったままだよ」
「……良かった……じゃあ、今すぐ行くから待っててくださいね」
「4分を1秒でも経過したら、すぐにタクシー出して帰るからね」
「そんなこと言っても、嶽花さんはちゃんと待っててくれるもん」
言い返せずに無言でいたら、「じゃすぐあとでね」と電話は切れました。携帯片手に途方にくれてる俺。そしてやけに無言な運転手さん。長い長い数分間がすぎ、Kちゃんが戻ってきました。
今までもお店に行く為に着飾っていたと思うんですが、戻ってきたKちゃんは今までが見劣りするくらいに可愛らしい服装になっていました。こういうのを勝負服って言うんでしょうか。なんか見るからに気合入ってます。
「おまたせ、嶽花さん。じゃあ運転手さん、また天神までお願いします」
そしてタクシーは出発し、俺らは無言のままでした。そうしていると、Kちゃんが再び尋ねてきました。
「嶽花さん、さっきの答えをまだ聞いてないんだけど……」
「答え、って……?」
「じゃあ、もう一回言いますよ……私と奥さん、どっちが大事?」
少しだけ間をおき、観念して答えました。
「奥さん、かな」
車内は暗くなっててお互いの表情は見えないのですが、それでもKちゃんが動揺しているのは分かりました。
「ねえ、もう一回だけ質問させて。私と奥さん、どっちが大事?」
「やっぱり、奥さんだね」
「どうしても?」
「どうしても」
「ねえ、これからずっと、ってわけじゃないの。今から30分の間だけでいいの。私と奥さん、どっちが大事?」
「でも、奥さんなんだよね、これが」
俺が即答すると、Kちゃんはうつむきながら、つぶやくように言いました。
「私のことは、大事じゃないんだ」
「大事じゃないわけじゃないさ。でも、奥さんの方が大事なんだ。こういう性分なんで、仕方ないよ」
「どうしても、ダメなの……?」
「……ごめんね」
「謝らないで、お願いだから……」
思わずまたごめんと言おうとして、そのまま口をつぐんでしまい、そのまま沈黙が訪れました。そして思いきって、話を再開しました。
「あ〜、帰ったら奥さんの頭を撫でたいなぁ」
「そんなに奥さんのことが好きなの?」
「うん、大好き。かわいいよ。深夜に帰るといつもコタツでうたた寝してるんだけどね、俺が帰ってきて頭を撫でたげると、寝ぼけながらもダーリィンって言いながらギュッってだきついてくるんだ」
「お願いだから……お願いだから、今だけはそんな話しないで……」
「……ごめん」
「謝らないで、お願いだから……」
そして、再び、沈黙。
長い長い沈黙は彼女によって破られました。
「ごめんなさい、運転手さん、ちょっとここで止めてもらえませんか?」
そこはちょうど、ホテル街でした。
※第三話へ続く
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