夫婦揃ってレイトショーで見てきました。まみりんはとても気に入っていて、俺はまぁまぁといったところか。ちなみに両者とも東野氏の原作である『レイクサイド』は読んでません。
以下、ネタばれじゃないとは思うけど自分の立場で考えると見る前に読みたくない(微ネタばれ?)っぽいと自分で思う部分を書きます。でもコレじゃ未見の人には何も伝わらないと思うので一言で書けば「演技の上手さとか見たい人にはお勧めだけど、少し不満がある」って感じでしょうか。
完全に自分の中でフラットな状態で見る、ということの難しさを実感した次第です。どんなに予告編とか見なくても、ストーリーをロクに知らなくても、自分の中でのまだ見ぬモノへの期待というものをいかに殺して平静を保って見るべきか。そもそもそれなりに期待したり感じるところがないとわざわざ映画館で見に行こうとは思わないわけなので、多少の矛盾は含んでいるようにも思えますが、自分の悪い癖が出たなぁ、と感じたのも事実。
まみりんは東野氏の作品をまったく読んだことが無く、いっぽう俺はそれなりに何作か目を通していて、特に『名探偵の掟』にはいたく感銘を受けているので、数こそ読んではいないもののファンと言っても差支えが無い状態です。ここで既にスタート地点が違う。東野氏ならなんかしでかすかも、と思って映画を見てると「これはあとでどのようにからむのか」とか余計なことを考えてしまうのです。最後にどうなるか予想するなんてつまんないし、これが自分の悪い癖だなぁってつくづく思います。
競馬で言えば、本命はあの馬だけどこの馬が次点でこの馬も大穴かも、と言った感じに殆どの馬(登場人物)を何らかに当ててしまう、とでもいう状態でしょうか。これで外れるようならメタミステリとか掟破りなことをしない限りは色々ネタが出尽くしてる現代としては無理な話なわけでして、単に自分が損する見方でしかない。
今回、原作のタイトルが『レイクサイド』で映画が『レイクサイド・マーダーケース』となっているのですが、映画を見終わったあとで思いました。なんで東野氏が『レイクサイド』というタイトルにしているのか、と。
その方が作風に似合ってるからではないでしょうか。映画を見る前はうまくタイトルをアレンジしてマーダーケースとつけたな、とも感心したのですが、見終わってみればマーダーケースとか付けたせいでこっちが勝手に想像膨らませてしまったりしてションボリです。そんな派手な話じゃなかった。
一本の映画としてみると、良作だと思います。年配の方にもお勧め。ベテラン俳優の演技がとてもうまく、そういう見所は満載。 その点についてはとても満足しました。いやにリアルなので、俺は子供とか作りたくないなぁって思えるくらいでしたし(ほめてます)。 絵的にも、なんというか、日本映画だなぁ、といった感じの間の取り方がありましたし、霧っぽいシーンでは不気味さが良く出てましたし。一部映画館ならではの黒いゴミとか、一箇所だけ明らかに演出ではなく画質がボヤけてるんじゃないか?と思う変なところはありましたが、それはご愛嬌か。
本作には勝手に『サイレントヒル』っぽいのを期待してたんですが、なんかその辺りからして俺が間違ってました。今回の俺の敗因は、なんかすげえ展開が待ち受けてるのではないか、と勝手に思い込んでいた点。これがなければ素直に楽しめていた映画だったと思います。やっぱ俺は展開の起伏が激しい意外性に溢れた映画が向いてるのかなぁ。あとCGは実写映画ではやめてほしいと思った。ラストのCG使ったと一目で分かる一連のシーンは完全に蛇足。正直、しらけました。あまりのチープさで色々なものが台無しです。
少し結末について思うところがあったので、ここまで書いたあとで映画評を幾つか見てきましたが、やはり原作の方がかなり味わい深いらしいです。読み終えたあとの余韻が全然違うらしい。やっぱ映画だと二時間の尺に収めないといけないからいろいろ省くのが多いのかな。
あのラストにするくらいならもっと陰気に終わるか、可能性をいろいろ自分らで真剣に討議した上であのラストにすべきではないか、という疑問があったんです。それくらい実際のラストは、葛藤も何も描写せずに唐突に爽やかに終わったと思えましたし、役者の演技力で押し切ろうとした感もあります。
原作読んでなくて言うのもなんですが、原作はこの辺りの処理を時間かけてやってるみたいなので当然なのかもしれませんし、むしろその辺りが小説のメインテーマのようなのに映画ではそのあたりバッサリ削ったのかな、と。
原作モノの映画はめったな覚悟じゃ見たらダメだな、というのが個人的結論です。
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