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小説

九十九十九

九十九十九 (講談社文庫)

九十九十九 (講談社文庫)

舞城王太郎
講談社
2007-01-16

この作品を読もうとしていると、こんな助言をいただきました。
読まれる際には、時間と体力とゆとりを準備されるがいいと思います。私は舞城王太郎氏の作品で最初に読んだのがこれですが、今思えばかなり無謀だったかなと。
素直にその言葉に従い、ゆとりのある時期に読了し、そしてその意味をかみしめました。舞城王太郎氏が賞を取った直後に出版されたとあって、けっこう多くの方がこの作品を氏の作品として最初に手にとってしまい、かなり戸惑われたのではないかと想像します。
まず、これは推理小説ではない、と断言しておいた方がいいでしょう。いちおう推理らしきことをしようとするのですが、論理的な謎で引っ張っていって解決によるカタルシスを読者へ与えるような作りにはなっておらず、そういう意味での推理小説ではありえません。
推理小説への偏愛が生んだ歪なまでのオマージュ、複雑な小説構成、洪水のような見立てとアナグラム、これらを舞城氏の筆圧で書ききったというこの存在を、どんなジャンルに無理矢理押し込めればいいのか良く分かりません。
読んでいて面白いかと言われると、答えに困ります。正直、あんまり人に薦めにくい。つまらないわけじゃないんだけど、『煙か土か食い物』みたいな疾走感のあるストレートな面白さというのとはまた違いますし。
とはいえ、作りこまれている構成・世界観などを噛み砕いて読もうとしないと楽しめない*1という偏屈な内容ではなく、主人公の奇怪な行動や文章をを楽しみつつ、ストーリーをなぞらえていってそのまま読了、となってもそれはそれで楽しめる、といった懐深さも兼ね備えている感じでしょうか。
これが元になっている清涼院流水氏の作品(読んでなくても本作は問題なく読めます)は、人によっては「初めて本を読んで壁に投げつけた」といった過剰な感想があったりするくらいの問題作揃いらしいですが、この作品に関してはそういうことはないとは思います。間違った方向に期待して手に取らなければいいんじゃないかと。
なにはともあれ、かなり奇妙な読書経験を得られるのだけは確かでしょう。とりあえず、氏の作品はまた手に取りたいと思います。何をしでかすか分かったもんじゃない。

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