最後の4行の存在が素晴らしいですね。捉えようによって受け取る意味が全く変わってくるあたり、実によく出来ています。
普通に読んでも先が気になる物語展開なのに、そこに用意周到に仕掛けられた罠、罠、罠。あとがきのふりして、読者への挑戦を遠回しに行ってくる手口も素晴らしい。本編が終わったあとに読者への挑戦を行った作品なんて、今まであったでしょうか?!
ここまでされたら、読了後に考え込まずにはおれません。いろいろな意見があるでしょうが、自分なりに感じたことを書きます。とはいっても、根拠は本編20ページに書いてある、この描写だけなのですが。
僕のクラスは相応に揉め事もあったし、子供らしくくだらないおまじないや都市伝説が流行っていた。緑のペンでノートに四つ葉を書いて成績アップとか、好きな人から消しゴムをもらえば両思いとか、YouTubeの呪いの動画や夕暮れの人さらいを信じていた子供達が、特別賢かったわけもない。
宮嶺望がいじめられるきっかけになったのは、寄河景が彼の消しゴムをこっそり隠し持ったからでしょう。とはいえ寄河景が消しゴムを取ったのを見せびらかしたわけではなく、それを目にした他のクラスメイトが、寄河景がするのであれば彼をいじめてもいいんだと思ったのかもしれないし、根津原あきらが消しゴムに秘められた想いを知って宮嶺望へ嫉妬から壮絶ないじめを始めたのかもしれない。
宮嶺望が寄河景に対して恋しているというのが本書のタイトルなのではなく、実のところ寄河景が宮嶺望へ抱いた気持ちが「恋に至る病」であって、それがブルーモルファという形で顕現化したのかもしれない。
寄河景が子供の凧を隠したのも、宮嶺望にいいところを見せたいという子供じみた「恋に至る病」がさせた行動なのかもしれない。
ただ、それが確定されるような描写は見当たらない。だから自分は「かもしれない」としか書けない。
全てはウロボロスのように円環し、一つの決まった解を持ちえない。二次元方程式の解を知るには、a,b,c,それぞれの値が確定しないといけないのだから。
結局は読者一人の気持ちに委ねられるのだと思う。
自分が上記のように思ったのは、寄河景に「恋」をしているからなのかもしれない。こうあってほしい、と願うような祈りにも似た気持ちをもっているからなのかもしれない。
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