無職になってからも、敢えて大きな図書館や大きな書店には近づかないようにしていました。毎日入り浸りそうで恐くて。それはあたかもネットゲームにはまってしまうかのように。しかし最近は色々考えるところがあって、本日は自転車で一時間近くもかけて市立図書館に行ってまいりました。青空のもと、大濠公園の湖のほとりをのんびりと寄り道しながら。なんて贅沢なのでしょう。
久しぶりに来る図書館はまさに天国。工学部に入ったのになりたい職業は図書館の職員だったのをまざまざと思い出しました。色々見て回ってると、自分が所有しているハードカバーの小説が、文庫落ちして図書館に並んでいるという事実に直面してしまいます。特に『エンディミオン』。就職活動の合間に読もうと思っても、余りのその分厚さゆえに読めずにいたのですが、文庫化されて貸出しOKとはこれいかに。借りてしまいたい衝動を押さえるのに必死でした。
なんとなくさらにぶらぶらしていると、ゲームのコーナーにて、ビリヤード解説本の横に『クソゲー白書』と『悪趣味ゲーム紀行』が仲良く並べておるのを見て、とてもとても複雑な気分になったので間にビリヤード本を挟んでおきました。なんとも緩やかな気分。なんとも緩やかな日常。そう、この時までは。
そしてなんとなく書籍検索のところにきて、まるで期待せずにとあるキーワードを打ち込んだら……待ち望んでいた本が既に存在していました。しかも初版を見たら2000年の12月20日。2年ちかく見逃していたとは……
とある雑誌に掲載され、それから単行本を10年近く待ち、あまりにも長く待ちすぎて記憶の奥底にしまいこまれていた、しかし無意識に捜し求めていた相手との再会でした。その相手がグレッグ・イーガンの短編集、『祈りの海』です。
「SFが読みたい!2002年度版」 が選ぶベストSF海外版本年度1位。
ヒューゴー賞受賞。
ローカス賞受賞。
星雲賞受賞。
といった事実は僕にとってはささいなことだ。これがグレッグイーガンの短編小説集だ、という事実に比べれば。
一気に読み終わるのがもったいなく、一日一篇ずつ読み進め、そして最後の一篇だけとなったある深夜。夜明けも近く、よく晴れていて、そんなに寒くも無い。そして、出発。文庫本一冊のみを携えて海辺に立った時、ちょうど夜明けが迫っているところでした。
おもむろに近くの岩場に腰掛け、最後の一篇、本書の題名にもなっている短編「祈りの海」を読み始め、ちょうど朝焼けが始まった頃に読み終えました。タイトルから勝手に感動作だと想像し、感動的な夜明けと共に読み終えようと思っていたのですが、実際にはそうはなりませんでした。
何とも苦い、ハッピーエンドとは言い難いものがあった。それなのに、遥か遠くの水平線を見ているかのような突き抜けた感覚をもたらす読後感。そして目の前には本物の水平線、そして世界の終わりのような朝焼け。
この時の奇妙な感慨深さは、今の僕の持つ語彙では表現できそうにありません。たぶん息絶えるその瞬間になっても、その語彙は見つからないでしょう。
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