大分遠征

14日がまみりんの誕生日なので、それにあわせて休暇をとってたのですが、「ダーリン、私のお母さんたちが福岡に来るからどっか行っててもいいよ。むしろ遠くに行きなさい」と言われたので、大分県別府ファイブオーのサード大会に帰省がてらで行ってきました。行きはヨコヤマさんの車に乗せていただき、5時間ほど同人シューティングゲームの曲を聴きながら到着。午後8時開始って遅すぎない?と思ったのですが、午後7時に着いたので丁度良かったと思いなおしました。
お腹は空いてたのですが、レバー相性が気になるので着くなり対戦。二台の対戦台があったので色々試してたんですが、なかなか俺のワイン持ちと相性のいい台が無くて、まあ他の台でやればいいかと移動を重ねていったら終に移動できない状況にまで追い込まれました。焼き畑農業?
で、大会。最初は4リーグに分かれて、二位までが決勝トーナメント行きです。会場にはノートパソコンが持ち込まれていて、参加者全員に試合組み合わせ表が配られ、自分が何試合後かすぐ分かるようになってて感心しました。一箇所「E-1 ヤブ(ヤン) vs E-1 ヤブ(ヤン)」と完全な意味での同キャラ対戦があったりしたのが印象的でした。分かりやすく言うと誤植です。ウチのサイトに良くあるヤツのことです。
予選リーグはさっき試して避けておきたいと思ってたB台のリーグに。あわわ。B台でも2Pより1Pの方が良かったので、対戦中よりも台選びジャンケンが一番真剣でした。1Pだとブロッキングがしにくく、2Pだとガードがしにくいかな、と感じたので試合中も色々意識的に力加減を調整しつつやってましたが、やっぱりすぐに対応できるほど器用じゃないのでブロッキングをあきらめたりガードをあきらめたりする立ち回りにしたりして(←立ち回りと呼べるのか?!)、無理矢理決勝トーナメントに進出です。
決勝トーナメントが始まる前に「台はどっちがいいですか?」と訊かれたので「Aで! Aでぜひお願いします!」と試合中以上に真剣になってたのですが、そのあと「どっちでもいいかなー」と言われ、そしてB台でトーナメント開始、と軽く精神攻撃を喰らいつつ試合開始。ガードを捨てた方がいいかも、と思ってた台で対戦してたら、正中線を連続技でくらったと思ったら5ヒットとしか表示されてなかったりして、自分のレバーさばきのダメッぷりを再確認。そして最後はパームガードさせてミート出そうとしたら、シュートダウン(しかも大)が出てて、地上ガードしてた相手に着地後に余裕の大P喰らって終了。キタコーさんには「あれは凄い読みでしたね」と言われたので「あの時、絶対相手がジャンプすると思ったんですけどねー」と話をあわせておきました。今回の大会の健闘っぷりを一言で言えば「いつも通りの負けっぷりでした」ということです、ハイ。
大会の司会がかなり衝撃的でした。何が衝撃かと言えば、試合運びが異様にスムーズで、25人参加で50試合くらいが二台で70分ほどで完了し、大会自体もその30分後には終わっていたところ……ではなくプレイヤーへの”口”撃ばかりで試合の解説は殆どしてないところでしょうか。二分半の試合の間に「ハメ」と言う言葉を100回くらい連呼とか。なんか超越してました。
そのあとは俺の実家に移動しようとしたのですが、住所しか分からず自動車での詳しい行きかたを誰も把握していない、ということでアポ無しで誰かの家にご厄介になれないか、とターゲット索敵開始。たまたまそばにいたキタコーさんに「一人暮らしですか?」と質問したら「はい、そうですけど」と答えられたので「じゃあ問題ないですね」とゴリ押ししてキタコーさんのお家に泊めていただくことになりました。
梅酒を頂きながら、酔ったふりして普段サイト上では話せないような事を暴露。福岡サード事情とか、星の王女BBSの話とか、えびボクサーの真実とか、サイト運営に対する思いとか。すると「腹黒すぎる」と言われたので、「俺より腹黒いのは沢山いるから、俺は腹黒くない」とオタクと言われた時のオタクの常套句みたいな返答をしてみたりしつつ、話題を変えようと「コイバナしよー、コイバナ」と提案。すると先日のネットアイドルサイトの紹介に対して「なんで俺だけあんなモノ見ないといけないんだ!と思って会社の人達にメールでURL教えまくりました」とか言われるくらいにコイバナにならなかったので、仕方なく恋人の実家に泊まったらおじいさんが豚の生肉を目の前にして、どうしてスイカは縦縞なのかと語ってた話とかしたら、キタコーさんがかなり本気で引いてたので愉快でした。すみません。
そして翌日も昼過ぎからファイブオーに戻って対戦。しかしまたレバーとの相性が何故か悪くて、試合中にヨコヤマさんから「落ち着きましょう、落ち着きましょう」と言われるくらい落ち着きを無くしたりしました。今のパソコンサポートデスクで精神面が鍛えられてきたと思ってたのですが、それは勘違いだったと思い知らされました。我慢強さは一本の線のベクトルではなく、多方向に色々な我慢強さのがあるのだ、と。サードでの我慢強さを鍛えるにはサードしないとダメ、という当たり前のことを認識したころには、なんかもう、中指も薬指も真っ赤で骨が痛い感じ。そのあとヨコヤマさんらは先に帰ることになり、どうしようかと悩んだものの、レバーレバー言ったまま帰るのももったいないし、マルさんが仕事の都合で暫くサードできないといわれてたので、いろいろと諦めきれずに一人残って対戦です。
色々話をしたりしつつ左手をかばうように色々やってるうちに、いつの間にか脳のスイッチが入ったのか、気がついたらニコリともせずに真剣にサードをやってました。マルさんといわゆるガチ状態で、二人でずっと対戦してました。真剣に間合いとりやけん制を丁寧にし、適当な技は出さない。そうこうしていると左手の痛みもなぜか全く気にならなくなり、周りの音も殆ど聞こえないような状態になり、珍しく集中してプレイしていました。
ああ、真剣にサードやっている人間はこういう領域にいるのかな、と冷静に思いつつ、自分の人生の中でのサードの優先順位を言うものを改めて実感しました。自分はサードに重きをおいていない、と。楽しいしとても好きだしもう三年以上もずるずるとプレイしてはいるけれど、それ以上ではないんだな、と。サードをしてい最中だというのに、エルボーをブロッキングしてスーパーキャンセルでハイパーボム出されてギガスも同時発動をして投げられてたあの瞬間、試合的には緊迫している瞬間だったというのに、今でもはっきり思い出せます。あの時はなぜだか、自分が一番こだわっているのは、文章を書いたり小説を書いたりという部分なのだな、と受け止めたことを。
手先でやってることは違うのだけれど、脳内物質の分泌状況の同位さが見せる幻とでも言うのでしょうか(それを言えば全ては脳の感じさせる幻ではあるのですが)、10年ほど前から構想を考えている作品のことを思い出してました。普段は意識しないようにしているのに、何かあると後ろにそれが居ると意識できる、憑りつかれている、といってもいいくらいの存在のことを。今、こういう状況で、レバーの代わりにキーボードがあれば、そのまま書き連ねられそうだ。そう思いはしたもののそれは長く続かず、試合がひとしきり終わってマルさんからにこやかに話しかけられたあの瞬間、いつもの自分に戻っていました。
どこかこのまま遠くにいってしまいそうなのを、元の世界に連れ戻してもらったような感じさえしました。そう考えると、ああいう心境というか境地というものは、一種の悟りや幽体離脱や宗教体験に似たものがあるのかもしれないな、と思うのです。あの状況を自由自在に生成できれば、と思うとドラッグのことを思い浮かべずにはおられないのですが、今まで一度も手を染めていないし、これからも決して手は染めないでしょう。倫理的な問題ではなく、すぐに溺れてしまって元に戻れないのが簡単に見えるからです。俺が幼稚園児になってやめるまで、父親は賭博やタバコや飲酒に浸っていたのですが、その姿を見続けていた自分自身も今となっては父にそっくりな部分がある、とまざまざと感じられるからです。
といったことを思いつつその一方、遠征にはレバー相性がつきものだからそれに負けないような練習をしないとダメだし、ワイン持ちではなくかぶせ持ちの矯正を長期で試さないとダメだな、と思いつつ大分を後にしたのでした。気軽にサードを遊びに行ったつもりなのですが、帰ってきたら小説の構成とか登場人物相関図を書いたりして、ああだこうだと悩んだりする今日この頃です。とか言いつつも明日から熊本に遠征に行ってきたりするのですけれどね。サ−ドは細く長く楽しんでいくんだろうな、と改めて感じました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました