伊坂幸太郎氏の『グラスホッパー』についての感想を表サイトで書いたのだが、敢えてあちらでは語らなかったことがある。ネタばれ、というほどでもないが物語の序盤について少し触れざるを得ないので、未読の方は注意されたし。
主人公の一人、鈴木。彼は妻を交通事故で失った。相手の過失での事故であるにも関わらず、警察との強烈なコネにより事故はもみ消され、罪にも問われず反省をすることもなく、殺害者はいまだに世間をのうのうと闊歩し、相変わらず飲酒運転をしている。鈴木はその男を許せず、今までの職を捨ててまで、今までの人生を捨ててまで、その復讐のために殺人者の懐に潜り込もうとしている。
現実的にこういう隠蔽事件はないだろう、と皆さんは思われるかもしれない。しかし実際には大手新聞などには掲載されないだけで、起訴されているもみ消し事件などは多くあるらしい。個人的な印象なのだが、作中に出てくる事故に関してはモデルがあるように思えた。その事件は偶然にも私の住んでいる市内だったため、ますます他人事に思えなくなってきた。
もし私が同じような状況、つまり妻を交通事故で殺され、事故がもみ消しにあい、相手が無実となっている、そのような状況になった場合、私ならどうするのだろうか。妻に尋ねてみた。
「相手を殺すでしょ? 後先考えず、必ず殺すでしょ?」
そう言って妻は実に幸せそうな笑顔を見せる。
私自身もそう思っていた。一般的な人間なら犯罪には手を染めず、法律にのっとって訴えを根気良く続けたりしていくのだろうが、私はそうしないだろう。きっと”その時”には人並み以上に怯えや恐怖を感じなかなか実行できないのであろうが、結局は私は一線を越えるに違いない。いつもと違い手段を選ぶような真似はせず、後で絶対に後悔する選択肢だと分かっていても、そうする。
妻の笑顔を見て私は少し複雑な気分になったものの、妻が私の表も裏も知った上で一緒に居てくれているのだ、と思うと嬉しくなった。たぶん今、私も妻と同じような幸せそうな笑顔をしているのかもしれない。幸か不幸か目の前に鏡はない。だからこの笑顔が妻と同じような幸せそうな笑顔なのか、なんらかの暗い色に染まっているのか、それは分からない。