随想

父について

父について語ろうと思う。

自分が幼い頃の父は、いつもタバコを吸いながら麻雀をして、すぐカッとなって自宅の壁を蹴破ったりしていた。そんな父を見て、こういう大人にはならないようにと思ったのか、自分は酒もタバコもギャンブルも全く手を出していない。

そんな父も息子が大きくなるにつれ、それらに全く手を出さないようになり、定年後は穏やかに過ごしていた。食い意地がはっていて、孫のフライドポテトを皿ごと取り合いになって、二人で皿を持った手をプルプル震わせる姿を見ると、遺伝子の存在を強く感じたものだ。

そんな父が胃癌だとわかったのは一年ほど前だった。手術は成功したものの、見るからに痩せていた父は、さらに別の病に侵されていった。

そんなおり、昨年の正月に帰省した時に、今後どうするかという話になった。この時「今まで育ててくれてありがとう」と言いたかったが、そう言ってしまうことによって終わりが訪れそうで、大した事は何も言えなかった。何を言ったのか、ほとんど覚えていない。

それが父と交わした最後の言葉となった。

父はそのあと介護が必要な状況となり、コロナが蔓延しているため、他県から来た人間にあうとヘルパーがニ週間来れないという取り決めになった。父と離れて他県に住んでいる以上、実質、会いに行くことは出来ないのと同義だった。コロナの前に、ただただ、無力でしかない。

あるいは、こうも思う。自分がコロナに感染しても自覚症状がないまま見舞いに来るような危険を、父がその病状により回避させ、母へ感染させることなく守ったのだ、と。そうでも思わないと、やっていけない。

結局、葬式にも四十九日にも参加できないまま、今に至る。

あれほど食べるのが好きだった父は、胃を除去した影響で、鼻からチューブをいれての「食事」しか出来ず、日々痩せていくばかりだったと聞かされた。ただ苦しい苦しいと訴えていたという話を聞くと、頭の隅に「尊厳死」という言葉がちらつき始め、それが静かな存在感を常に残すような一年だった。

幸せの形は何なのか。

その問いに対する答えは、未だに見当たらない。