松江を訪れて十日目。
文通相手の所在は不明のままだ。しかし今日は俺のもとに迎えが来るということらしい。それまで部屋で待ち続けるしかなさそうだ。
そういえば、読み返してない手紙がまだ一通あったな。
蝶々の便箋の手紙だ。
彼女から送られた十通目の手紙。
消印は二月二十九日か。
最後の手紙を読む。
手紙、ありがとう。
私はずっとふさぎ込んでいました。
色々なことを知ってしまった今、
このまま消えてしまいたいと思っていました。自分が何のために生まれてきたのか、
どのように生きていけばいいのか、
分からない。でも、決めました。
私は生まれ変わろうと思います。
彼女が望まれていたように。
私があとを引き継ぐのです。
私がこの名前で手紙を出すのは、これが最後かもしれません。
今まで本当に楽しかったです。
いつか会ってお話してみたいけれど、今はまだその時じゃないみたい。いつか、私に会いにきてほしい。
その日を楽しみに、生きていきます。文野亜弥
手紙を読み終わり、どんな返事だったか思い出そうとしていると、智子ちゃんが部屋に入ってきた。
「お客さん、来客ですよ」
ついに来たか。
部屋の外に出るが、誰も居ない。
「来客ってどこかな」
「へへー、それは私です」
「つまり、智子ちゃんが俺を迎えに来たってこと?」
「そうですよー、マックスさん」
「まさか君だったとはな……君が彼女の元に連れて行ってくれるってわけだ」
「はい、私にお任せくださぁい」
そして智子ちゃんと二人で交通機関を乗り継いで、郊外の大きなショッピングモールにやってきた。大勢の人で賑わっている。
「ここに彼女がいるんだな」
「あとはマックスさんが探しだしてください」
「え、こんなに大勢から?」
「がんばって〜」
ひらひらと手を振りながら、智子ちゃんは行ってしまった。
しかたがないのでモール内をぶらぶらと歩いてみる。
なんだろう、初めて来たはずなのに、どこかで見たような気がする。デジャブというやつだろうか。
ずっと歩いていると、広場っぽい所に出た。しまねっこに子どもたちが集まってる。なんとなく手をふると、しまねっこも手をふり返してくれた。なかなか雑誌の写真らしき姿は見当たらない。このまま闇雲に歩きまわって、果たして見つかるものだろうか。
子どもたちがはしゃいでるのを見ながら考えた。
子ども、か。
試しに迷子コーナで、彼女を呼び出してみるかな。
「お探しになってる方のお名前はなんですか?」
「彼女の名前は……」
そう言おうとして、肝心なことを知らないのに気づいた。
本当の彼女の名前をまだ知らない。
知ってるのは雑誌にマジックペンで書かれていた名前だけだ。
ダメもとで、神無月真理亜、と伝えて店内放送で呼び出してもらう。
十分ほど待ったが、誰もこない。彼女はこの放送を聞いていないのか。
もしくは名前が違うのか。
名前、か。
そう思った途端、不意に小雲のじじいのレコードを思い出した。
『古い名前で店にいます』
店と言うにはこのモールは大きいが、店ではある。
彼女の古い名前で呼び出すべきだろうか。
ああ、こんなことなら、智子ちゃんに聞いておくべきだったな。
このままじっとしていたら、見つかるものも見つからなくなりそうだ。
諦めきれずにもう一度雑誌の写真を見直しつつ歩き続ける。なにか見落としがあるかもしれない。
かなり店内を歩いたつもりだが、まだ見つからない。
気が付くと広場に戻ってきていた。
今はしまねっこはおらず、代わりにピエロが芸をしている。
二枚の絵を重ねあわせ、違う一枚の絵が出来上がると子どもたちの歓声があがった。重ね絵というやつか、懐かしいな。
ん、待てよ。二枚を重ねる、か。もしかしたら……
二冊の『ティーンズ・クィーン』十一月号を取り出し、彼女の写真のページを重ねて日の光にかざす。
マジックペンでの塗りつぶしは完全ではなく、ところどころ小さな隙間がある。
だからこうして重ねあわせると、消された部分の名前が少し類推できた。書き写した名簿と照らし合わせ、とある名前が候補にあがった。
いや待てよ、チビは「名簿の自分たち以外の名前は偽物だ」と言ってたじゃないか。
彼女の古い名前が、名簿に書かれていない可能性もある。
しかし書かれている可能性もある。
迷子コーナーへ再び行き、呼び出しを頼むことにした。
「お探しの方のお名前はなんですか?」
「彼女の名前は……吉岡栞、です」
しばらく待っていると向こうから黄色い見覚えのある姿がやってきた。
しまねっこだ。
もう休憩時間が終わって、また広場で子どもたちの相手をするんだろうか。
すると目の前でしまねっこが立ち止まった。
「ひさしぶり。というよりは、はじめましてって言うべきかな?」
「しまねっこが喋った!」
「えー、驚くの、そこなの?」
しまねっこが頭のかぶりものを取ると、そこには探し求めていた写真の彼女が居た。
俺のかつての文通相手の彼女が。
そうか、由香里が昨夜言ってたのはこのことだったのか。
松江駅に到着した時点ですでに俺は彼女に会っていたわけだ。しまねっこの衣装を着た彼女に。
「君が俺の文通相手か」
「そう。文野亜弥として文通してたのは、このわたしです。古い名前は……」
「吉岡栞」
「そして今の名前は……」
「神無月真理亜、なのか?」
「ええ」
「いま、君のことはなんて呼べばいい?」
「そうね、古い話をするんだから、吉岡栞、でいいわ」
「わかった、栞ちゃん」
「ふふっ、ちゃんづけだとなんだかくすぐったい」
「じゃあ吉岡さん、の方がいいかな?」
「それだと他人行儀すぎない?」
「じゃあ、栞、で」
「うん、それがいい」
「ところで、さっきから気になってる事があるんだけれど」
「昔の話のこと? 教えてあげなかったら、マックスモードで聞き出す?」
いたずらっぽい笑顔は、昨夜別れ際の由香里に似ていた。
なんだろう、俺はみんなにからかわれているんだろうか。
「そうだな、その時は栞相手でも容赦しない。何事もマックス、が信条だしね」
「うわぁ……やっぱりマックス君は凄いね。私が見込んだだけはあるわ」
にっこりと笑う栞の顔を見ていると、からかわれているというわけでもない気がしてきた。
とりあえず話を聞いてみるしかなさそうだ。
だが、その前に……
「まずはその衣装をどうにかしてきたら?」
「えー、どうしよう。あ、そっか、智子ちゃんを呼んでくるね」
すたすたと歩いて行く彼女を見て、ふと思った。
もしかすると、栞はしまねっこの姿のまま話を続けるつもりだったんだろうか。
やはり彼女栞は少し変わってるのかもしれない。
しばらくして、普通の服装になった栞としまねっこがやってきた。
多分しまねっこの中の人は智子ちゃんなんだろう。しまねっこは後は任せろと言わんばかりに手をひらひらさせて、広場の方に歩いて行ってしまった。
「おまたせ。じゃあ二人っきりでどこかでお話しようか」
「そうだね。場所は君に任せるよ」
「じゃ、何か飲みながら、お話しましょ」
モール内の喫茶店に入り、奥の方の席に座った。
「じゃあ十五年前、何があったのかを教えてくれるかな」
「まずは二十五年前のことから話しましょうか」
「そこまで話が遡るんだ」
「そうね、そこが始まりだし」
頼んでいたコーヒーが届いたので、二人でそれを飲む。ほどなく、栞が話し始めた。
「文野亜弥さんが病死した、っていうのは文野洋子さんの嘘なの。もっと正確にいうと、文野教授が洋子さんにそう言い聞かせていたの」
「病死でないということは別の死因だった、ということか」
「そう。私が幼いころ、亜矢さんは交通事故にあいそうな私を庇って、代わりに亡くなられたの」
「そうだったのか」
「そのころ、私は松江には居なかった。そして亜弥さん達も。昔は別の土地に住んでいたの。つまり、私たちはこの土地の生まれじゃないわ」
「生まれの場所が何か関係してるの?」
「そうね、それについては後でもっと詳しく話すから」
頷くと、栞は話を続けた。
「亜弥さんが亡くなって、洋子さんは大変悲しみ、記憶障害を患うようになったらしいわ。小さかった私も記憶障害のようになって、混乱していたみたい。あの頃のことは未だに思い出せない」
「何も思い出せないの?」
「断片的に思い出す画像はあるんだけれど、それらが結びついてくれない、って感じかな」
「そう言われると、分からなくもないな」
「そんな幼かった私の状態を考慮して、亜弥さんが交通事故で身代わりになったとは説明せず、お互いの家族は別々の土地に引っ越していったの。そのまま接点を持たずにいたんだけど、文野さん夫婦が松江に引っ越してきて、私も偶然松江に引っ越してきてしまったの」
「そうだったんだ」
「そしてあの日、縁雫に導かれるように、文野洋子さんと再会したの。あの洋館は初めて入ったんだけど、以前事故があった時に見た洋館と同じ作りを再現していたみたい。だから、初めてじゃない気がして、すごく不思議だった」
デジャブというやつか。
「そんな私の様子を見ても、洋子さんは私だと気づいてなかったけれど、文野教授はすぐ私のことに気がついたみたい。もう事実を受け止められるくらいの年齢になったから、と本当の経緯を教えてくれた。そしてその上でお願いされたの。文野亜弥さんを演じてほしい、と」
「引き受けたんだ」
「悩んだけど、洋子さんが本当に嬉しそうな顔をするし……私の罪滅ぼしだと思ったし……」
「そうか、十一通目の手紙はそういう意味だったのか」
私は人を殺してしまいました。罪を償わなければなりません。これでお別れです。さようなら。
「あの手紙、本当は十通目の手紙として出すつもりだったの。一度は書いたけど、結局投函はしなかった。その代わり蝶々の便箋で、別の手紙を出したわ」
「あの、生まれ変わるという内容の手紙だね」
「せっかく最後の手紙なんだから。そう思って書き直してると、あんな文面になっていたの」
「幻の十通目の手紙は、十一通目の手紙として出されたわけだ」
「そう、消印が押されないような方法でね」
「あれってどうやったのか、気になるな」
「色々と私には協力してくれる人がいるの」
「まさか……不法侵入?」
「今回はそんなことはしてないわ。文野教授が『マックス君がまだ独身だったらこの手紙を置いてほしい』ってお母様にお願いしてくれたの」
「おふくろがあの手紙を置いたのか」
「来てくれるのか不安だったけど、あの手紙だけで来てくれたね、マックス君」
「そりゃ、気になるだろ。気にならないわけがない。居ても立ってもいられなくなったんだ。何があったのか、知りたい、と」
「そっか。そうなんだ」
満足そうに栞が微笑んでいる。
だがまだ話は終わってない。
俺は満足していない。
「栞と亜弥さんの関係は分かった。けれど、それからどうして火事が起こったり、真理亜という名前になったんだ?」
「あの火事は、真理亜と関係があるの」
「どういう事なんだ」
「あの火事の日、文野さん夫婦に呼ばれ、みんなとクリスマスパーティに行ったの。パーティが終わって、私だけ亜弥さんとして残っていたわ。十八歳のクリスマス、それが洋子さんにとっては特別な意味がある。そんな事とは知らずに、いつも通り洋子さんの相手をしていたの」
「何があったんだ」
「私は洋子さんに『真理亜、いよいよ時が来たわ』と言われた。でも私は『いいえ、私は亜弥よ』と答えてしまった。それが間違いだったの」
「それだけのことで?」
「そう、それだけで、心に楔が入ってしまったの。言うことを否定しないように、ってお医者さんが言われていたのに、私はつい洋子さんの言葉を否定してしまった。その一言で、洋子さんの心のバランスが壊れてしまった。洋子さんは半狂乱になって、洋館に火をつけてしまったの。たぶん、思い出ごとすべてを捨て去りたかったのかもしれない」
「それだけで、か」
「そう。コップの水が零れそうになってたのに、気づかずに水を注いでしまったの」
「そして、水は溢れた」
「そう。そして私は、洋子さんの娘さんを二度も殺してしまったの。洋子さんは火事では一命を取り留めたんだけど、そこから体調が悪化したまま、復調せずに亡くなられてしまった。葬儀のあと、文野教授が教えてくれたわ。亜弥さんは十八歳のクリスマスのあと、神無月真理亜となる予定だったと」
「その真理亜って、一体なんなんだ?」
「文野さん夫婦は、とある団体に所属していたの。島根県出身では入団する資格がない、特殊な団体に。その団体では、神無月真理亜は特殊な存在なの」
「その団体、って一体なんなんだ?」
「源吉さんから聞いてないの?」
「もしかして、あのカードの『神無苑』という名前?」
「そう、それが文野さん夫婦が所属する団体の名前よ」
「神無苑って団体は一体何なんだ? どこにあるんだ?」
「どこにあるのか。それにはすぐ答えられるわ。ほら、見て」
栞が喫茶店の窓の外を指差す。そちらにはショッピングモールのポスターがあった。何の変哲もないポスターだ。
「あのポスターが何か?」
「よく見て」
もう一度ポスターを見て、ようやく気づいた。源吉さんに貰った神無苑のカードを取り出し、見比べる。どちらもロゴが同じだ。どうりでモールに来た時に、妙な既視感があったわけか。
「ロゴは同じだけど、名前は違うね」
「いいえ、同じなのよ」
「ショッピングモールの名前は、ヒューマンガーデンモール。カードには書いてある名前は、神無苑。同じじゃないだろ?」
「いいえ、同じよ。神無苑というのは、その教義を指し示しているわ。神の存在を否定しているわけではなく、神に頼らず、人だけの力で乗り切る。そんな想いが込められているの」
「教義ってことは、神無苑は……宗教団体なのか?」
「そうね、世間一般ではそう呼ぶ代物だと思うわ」
「ヒューマンガーデンというのは『神無き庭』、つまり人のみが居る庭、ってことか」
「そう、その通りよ。ここまで言えば分かってもらえたかしら?」
「……なにが?」
「神無苑がどこにあるのか。その答えはすぐ教えられるって言ったでしょ」
「まだ教えてもらってない」
「私は指先一つで、もう答えたわ」
まさかと思い、辺りを見渡す。一見、普通のショッピングモールだ。
普通の家族連れや学生たちが訪れる、郊外によくあるような健全な空間。
だがこのモールと宗教団体の名前は同じ意味だ。
それは、つまり。
「神無苑はここだ。このショッピングモール自体が、神無苑なんだ」
「そう、その通りよ」
嬉しそうに微笑んでいる栞の顔が、さっきまでとは違って見える。
同じ顔で、同じように笑っているはずなのに。
「君が真理亜になった経緯はわかった。ただ、そこまでして何が目的なんだ? それにどうして今になって俺を呼び寄せるような手紙を出したんだ?」
「マックス君は、この国をどう思ってる?」
「質問に対して質問で返すなんて、答えになってないな」
「まずは私の質問に答えて」
「わかったよ……とはいえ、特に国に対して思うことはないかな」
「あなたはこの国に対して、疑問を感じない? ただ暮らしていくだけなら、命の危険もないし、水や食料も手に入るし、特に不満もない?」
「不満がないわけではないけど、世の中そんなものじゃないか」
「そっか、マックス君はそうなんだね。でも私はちょっと違うかな。いろいろと変えていきたいことがあるの。ただ、そのために何かをするには、一人では限界があるわ。力が必要なの……色々な人の」
「なんだか、救世主にでもなりそうな口ぶりだね」
「そもそも、救世主の定義とは何かしら」
「人々や世界を救済するとされる存在、かな」
「そういう言い方もあるわね。だったら救世主になる必要十分条件は何かしら」
「それはまぁ……何かを救ってる、ってことじゃないかな」
あんまり頭が良くない感じの答えになってしまった。
「そうね、確かに何かを救ってるのは確かね。じゃあ救世主が救っていけないものはあるかしら」
「救世主なのに?」
「そう、救世主が救ってはいけないもの」
「思いつかないな」
「私が考える救世主の必要十分条件は、自分自身が救われないこと、かしら」
言葉に詰まっていると、栞は続けた。
「救世主なのに、自分自身を救おうとするなんて、どう思う?」
彼女の目つきにおされて無言のままになってしまう。
彼女は狂信的な何かになろうとしているのだろうか。
そうして黙っていると、彼女の目つきがすっと和らいだ。
「でもね、そういう意味だと、私は救世主にはなれないわ」
「え、なんでだい」
「だって、こうしてマックス君が会いに来てくれた。それだけで、本当に救われた気分よ」
そして彼女はにっこりと幸せそうに微笑んだ。
「だから私は、救世主になりたいわけじゃないの。でもね、熱狂を生み出したい、とは思ってるわ」
「熱狂? 君は何をしたいんだ?」
「闘いや革命には、熱狂が必要よ。ただ義務的に何かをしてもらうのではなく、自分自身の内側から、そうしたいという欲望があるべきだわ。使命感、と言いかえてもいい」
「何事も自発的に何かをすべきだ、というのは分かる気がする。そういう内からの抑えられない気持ちがわきあがる方が、色々なことができるというのは、俺も感じるものがある。そういう事なら、分からなくもない」
「でしょ? でも正直言って、私やあなただけではまだまだ不足なの。いい線いってるとは思うんだけどね」
「一人で無理なら、力をあわせればいい。1足す1は2だろ」
あれ、これってプロポーズみたいになってないか?
そう思ったが栞は気にしてないようだ。
「そうね、足し算でもいいんだけど、今の私が望むのは、掛け算、かな。数学のルートって知ってる?」
「平方根だね。平方すると元の値に等しくなる数のことだ」
「そう、その通り。たとえばルート13とルート13を掛け合わせると、13になるわね。そう考えると、ルートって半端な数字だと思わない?」
「半端、か。そこまで考えたことはなかったかな」
「私達のような性質って、世間一般だとこう呼ばれるそうよ。サイコパス、ソシオパス、パーソナリティ障害、行為障害。他にも色々な言葉があるけれど、どれかに当てはめられるみたい」
「そういうものなのかな。でもまぁ言葉一つだけで、俺達を分類するのもどうかとは思うね」
「そこは同感ね。とりあえず説明のために、どこかの枠に当てはめたいだけでしょ」
「そうして分類して、安心したいんじゃないかな」
「私はそういう言葉を使われると、ルートのことを思い浮かべる。私たちは半端な数字。私とあなたはルートどうし。でも二人が掛け合わされれば、もっと新たな可能性が増えるんじゃない?」
あれ、これってプロポーズされてないか?
素知らぬ顔で答える。
「そうかな。買いかぶりじゃないかな」
すると無表情に栞が言った。
「仏に逢うては仏を殺せ」
「え、やけに物騒なことを言うね」
「言葉上では殺せと言ってるけど、本当に殺すという意味じゃないわ。既成概念にとらわれないよう、認識のあり方への警鐘ってところかな」
「なるほど、そういう事か」
「つまり、私はこう言いたかったの。あなたなら、世の中のしがらみにとらわれず成すべきことを成せる、と」
ここまで聞くと、色々と今までの事が腑に落ちた。
「もしかして今回の事って、俺に対する面接みたいなものなのか。俺の適性を見たくて、昔のクラスメイトに協力をお願いした、ってこと?」
「そう、その通り。そしてあなたは私の期待以上だった」
期待、か。ほぼ賦には落ちたが、まだ一点気になることがあった。何の根拠もないが、確信めいたものがあったので質問してみよう。
「期待されている俺みたいなマックスが、他に何人いるんだ?」
すると栞は両手を顎の下にあてて、小首を少しかしげた。
「あれれ、なんでそう思ったの?」
「大した根拠はなくて、ただの直感だよ」
「でも、何かきっかけとかがないと、そう思わないでしょ」
「由香里が言ってたんだ。君が洋子さんに言われ、たくさん手紙を書いたって」
「十通も手紙を出したら、たくさんって言えるんじゃないかしら」
「二通目からは楽しみにしてた、とも言ってて少しひっかかったんだ。一通目の手紙をたくさん手紙を書いて、二通目からは楽しみにしてた。そういう意味にも取れるって」
「それだけだと根拠として弱いんじゃない」
「いや、あと一つだけ根拠がある。俺の部屋に十一通目の手紙を入れた時、今回は、って言ってたよね」
「そうだったっけ?」
「俺の部屋に不法侵入したのかと質問したら、今回はしてない、って言ってたよね」
「ああ、なるほど。何回も十一通目の手紙を出した、と誤解したのね」
「誤解、ということは俺の勘違いだったわけか」
栞はあごに置いていた手を離し、両手を上げて少し背伸びをした。目を閉じて少し深呼吸をし、目を開けながら口を開く。
「いえ、そうでもないわ。不法侵入の件に『今回は』って言っただけ。一通目の手紙はたくさん出した。あなたの想像通りよ」
「なんでそんなことを?」
「洋子さんに言われたからよ。まぁ教義にいろいろあるみたいで、ね。神秘主義的なところは殆ど無いのよ。どっちかというと生活の知恵的な教えが多いの。でも手紙を沢山送って適合者を探すとか、そういう教えもあるのよね。まぁ詳しい内容は、興味を持ってもらえた時にでも話してあげるわ」
「要は教団のため、色々な人間と文通を並行していたわけだ」
「そこも誤解なんだけど、二通目まで続いたのはあなただけよ」
「え、そうなんだ」
「なぜか返事が来なくて続かなかったのよね。まぁ当時はすでにメールとかもあったから、文通という方法自体が、長く続かない原因だったのかもしれないけど。だからマックスくんから返事が来て、手紙が続いて嬉しかったわ」
「そうだったのか」
そこで話が途切れた。
集中力が途切れたからなのか、不意に店内の雑音など耳に入ってきた。
あらためて辺りを見回す。
明るいショッピングモール。
楽しそうに歩く人々。
今まで話していたことからは、完全に切り離されたような別世界。
「結構長く話したけど、他に質問はないかしら」
「そうだな、最後に一つだけ」
「何かしら」
「なんで十五年ぶりに、俺を呼びよせたんだ。十一通目の手紙を早めに出した方が、効果的だったんじゃないのか」
「でもあなたはちゃんと来てくれたじゃない」
「結果的にはそうだが、必ずそうなったとも限らないだろ」
「でもあの時の返事どおり、ちゃんと来てくれた」
栞はカバンから手紙を取り出した。俺が彼女の十通目の手紙に書いた返信だ。
手紙、ありがとう。
何か色々あったみたいで心配したけど、目標ができて、それに向かって進むんだね。
具体的に何をするのかは分からないけれど、君の進む道を応援しているよ。
いつか君が俺を呼んでくれる日が来たら、必ず君のもとにかけつける。
その日を、ずっと待っている。
マックス
「この手紙、わたしの宝物なの。いろいろな事があったけど、ずっと持ってた。わたしの大事な、心の支え」
「今となって見返すと、なんか照れくさいな」
二人でくすりと笑う。
「十五年かかった理由だけど、十五年待つと最初から決めてたんじゃないの。わたしがここまで来るのに、けっこう時間がかかっちゃっただけ。わたしの準備が整ったから、あなたに連絡をとったの。いつのまにか十五年も過ぎてただけよ」
「十五年の意味は分かったけど、まだ答えをもらえてないな」
「何かしら」
「俺を呼び寄せた理由は?」
「えー、私がここまで言ったのに、まだそんなことを言うの?」
何となく分からなくもないが、ここはマックスモードを使ってでも聞いてみたい。聞いてみたい……が、とりあえず素直に口に出していた。
「君の口から、ちゃんと聞きたいんだ」
もう、と栞は口をとがらせ、また両手を顎の下において肘をついた。そして少し目をそらし逡巡し、背筋を伸ばして俺の目を見つめなおす。
「わたしはマックス君、あなたとずっと居たいと思ってる。もっとあなたのことを知りたいの。だからここまで来てくれて、本当に嬉しかった。あなたはわたしのこと、どう思ってる?」
そして片手を差し出してきた。
「文通から何年もたって、実際に会うのは初めてなのに、想いが止まらないの」
人の顔って、こんなに真っ赤になるもんなんだな。
「今すぐ返事が欲しいとは言わないわ。十五年も待ったんだから、あと数日くらい待ってもいいよ。あなたにとっても重大な決断になると思うし、それに……その……」
まだ言い続けようとする栞の言葉を遮るように、俺は彼女の手を握った。
いろいろ思うところはある。
でも、理屈じゃない。
俺も、想いが止まらないんだ。
「俺も君とずっと一緒に居たい」
すると栞は放心したような表情になる。
頬を伝うものに気づき、指で拭いながら栞は言った。
「あれ、わたし、泣いてるんだ……」
ハンカチを取り出しながら、栞が言う。
「知ってた? わたし、泣いたの初めてなんだよ。マックス君、わたしの初めてを奪っちゃったね」
「そうか、それは悪いことをしたな」
「もっと他の初めても奪ってくれたら、許してあげる」
くすりと彼女が笑うと、いつの間にか初老の温和そうな男が立っていた。
「おめでとうございます」
「どなたですか?」
「こちらが文野教授よ。文野洋子さんの旦那さん」
「はじめまして、マックス君。文野と申します。今後ともよろしくお願いします」
すっと片手を差し出され、おのずと握手をした。
「こちらの方こそ、よろしくお願いします」
それが合図になったように、辺りの客全員が拍手をし始めた。
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
「おしあわせに!」
「今後が楽しみです!」
喫茶店の中だけでなく、外の人たちも拍手をしてる。
「えっ、これって一体どういうことなんだ?」
「言ったでしょ、私には協力してくれる人がいるって」
「もしかして、ショッピングモールの中の全員が……」
「そう、みんな私の大事な仲間達よ」
まさかと思って見渡すと、クラスメイト七人もいつの間にか居る。
それだけじゃない。
智子ちゃん。
春花さん。
ケーキ屋の優香ちゃん。
三平君。
源吉さん。
小雲のじいさん。
みんなにこやかな顔で拍手している。
「それにしても、人数が多くないか」
「あれ、言ってなかったかしら。わたし、世間で言うところの、教祖になったの」
「え、聞いてないよ!」
俺が驚いてると、栞は両手で俺の手をつかみ、耳元でそっと囁いた。
栞「ずっと、一緒だよ」
(エピローグへ続く)