随想

まどろみの向こうの風景

かつて自分が絵を描いていた時期があったのを思い出した。

ドラッグなどはやってない身ではあったものの、夢うつつの状態の時の視界は平常時のそれと違い、何かたがが外れた世界を垣間見せてくれるもので、薬物を摂取するとこのような風景が見えるのかもしれない、と夢想したものだ。

ミッキーマウスはドラッグ吸引時の幻覚に動きがそっくりだ、という説もドラッグ無しで内省的に実証できるのではないかと期待するものの、いかんせん夢うつつ、その時に手のひらに掴めそうな映像の数々は指の隙間からさらさらとこぼれてしまい、覚醒したときは何も残っていない。

まぁ仮にその時に視認できたとしても、ドラッグ着服時と似ているかどうかはその経験が無いと断じることはできまいわけであるが。仮にインド人が吉野家でそうと知らずに牛丼を食べて「なんだこの料理は! 牛の味がするぞ!」と叫んだとしたら、貴方はどう感じる?

結局は客観的な比較に頼らざるを得ないことになりそうだ。

そうなると自分の視界をディスプレイに映し出せる機械があれば……と願うしかないわけであるが、奇跡的に一枚だけ絵に描けた題材があったのを思い出した。

題名は「ヤドカリ団地」というセンスの欠片もないネーミングだったが、内容も負けず劣らずセンスが欠如していた。

細い筒状のものが貝殻のように円形を成している建築物。

その中から餓鬼のような生物が這い出てきている。

放射線状に筒があり、それぞれから餓鬼が外側へ這いずり回ろうとしているので、均衡状態が生じて建築物は動かない。

この絵を見せたら、夢判断でどんな結果が出るのやら。

昔は情緒的にも今と比べて落ち着かず、と言うよりも知人いわくギラギラしていて、異常なまでに精力的な創作意欲があったものなのに、それが今ではかなり落ち着いてしまい、創作意欲も減ってしまったように思える。いや、創作意欲と言うよりも、欲望が、か。

今まで齢を重ねてきて色々な経験を得たからこそ作れるものもあるとは思うが、当時の今以上に青二才で欲望に忠実な時期でしか作りえないものもあったのだな、と改めて感じる。